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2010年7月30日 初めて自分で自分を人柱乙と思います

瞬殺でした。これはもうだめかもわからんね。

パスポートのページを一枚一枚チェックして、
赤スタンプを発見した瞬間、なんの躊躇もなく、
申請書類にホッチキスでとめてあった整理券をバリッと剥がし、
そのページに申請書類を重ねてこちらに掲示し、無言で返却。
そのあまりのオートマティズムさに強い意志を感じました。

二人いる受付の、女の方が厳しいという話で、男は温いとの噂ですが、
男も横でちゃんと一枚一枚チェックしてました。
私は例にもよって巡り合わせで女が担当になりましたが、
今度は男に当たるように、ってな翌日再チャレンジの意欲も失せました。

まぁでも外でウロウロしてる申請代行業者に頼めば、
2000 バーツくらいで何とかなるだろうと高を括っていたのですが、
最初に聞いてみたところは私のパスポートをチェックして、ドン引き。無理、と。
次に聞いてみたところは、8000 バーツ。こちらが無理。
その次に聞いてみたところは、10000 バーツ。更に無理。
最後に聞いてみたところは、あっさりサジを投げて、
「パスポート変えるしかないよ。諦めな。」と。

ここで心がポッキリ折れました。

夜行で一睡も出来ずヘロヘロになって辿り着いたヴィエンチャンでしたが、
一泊して翌日再トライしても可能性はほぼゼロだと思うし、
疲れててももういいや、このまま帰ろう、と。

でそのまま休まず速攻で帰ってきました。
ロットゥーとか駆使して急いで帰ってきたので、バンコクには 21 時過ぎには到着。
体がミシミシ言ってます。

ツーリスト組のよい子のみんな!どうしても自力がいい子はプノンペンらしいよ。
ダブルもお金を出してツアーで行けば、ポイペト一泊だけで取れるらしいよ。
というかさ、タイから拒絶されてるみたいだからさ、移住しよっか!もうだめぽ。


2010年7月28日 引越し延期でラオス行き

昨日、引越しの予定である程度荷物もまとめてたんですが、
鍵をもらって荷物を部屋から出してる最中に、アパートの人が急いで戻ってきて、
まだ清掃が終わってないので、綺麗にするまでもう少し時間をください、と。
何時くらいに移れるか聞いたら、昼の 12 時頃、と。(その時 10 時過ぎくらい)
はい、いいですよ。じゃ、待ってます、と。

で昼過ぎになってフロントに行くと、バツの悪そうな表情で、
水回りの工事が終わってないので、もう少しかかります、と。
まぁ、それなら明日でもいいですよ、と伝えると、
はい、明日なら大丈夫です、確かです、と。

あ、なんかフラグ立ってねぇか?
確かって所だけシュアって言ったぞ英語だなんか変な臭いがする。

その後、早くもアライバルビザ(笑)が切れる頃だと思い少し調べてると、
結構切羽詰まってる現状に気がつきました。
ダブル取ろうにも多分弾かれるだろうという事でツアー絡めるか、
と思ったけど出発日が合わないし、ビザ切れるのが金曜なので、
ビザを自力で取りに行ったら土日を挟んでしまうじゃないか、と。
じゃ、一日前倒しにすると、出発日が明日、つまり今日 28 日水曜になってしまう。
そこで Yas さんが教えてくれた Thaivisa 4 U ってツアーだと水曜発で、
赤スタンプが捺されたパスポートでも大丈夫、との事で、サイト見てたら、
どうやら追加で 4000 バーツも取られるみたいな事が判明。

とりあえず飛行機でクアラルンプールでも行くか?そうすると 30 日に日帰りできる。
エアアジアで 4000 バーツ弱で往復できる。
って、それならダブル取った方がいいじゃん。
ああでもない、こうでもない。グルグルグルグル。
で結果、自力でヴィエンチャンに行き、ダメ元で申請して、
ダメだったら取り敢えず 15 日間のアライバルビザもやむなし。
取れたらめっけもんって事で。

28 日引越し終了して即夜行で出発して、
木曜に申請して、通ったら金曜に受け取りバンコクへ。
通らなかったら金曜にもう一回トライして、通らなかったらアライバルでバンコクへ。
通ったら土日にラオス国内旅行でもして、月曜に受け取りバンコクへ。
って流れにしました。チャンツアーのバスにも乗ってみたかったし。

で今日 28 日。朝起きて、部屋ができてるか確認しに行ったら、
やっぱ全然できてねぇ。何もできてねぇ。しかもボロボロだし廃墟臭すらする。
ここに数日前まで人が住んでたっての、絶対嘘。
細かい設備もシャワーとか棚とかが今の部屋の方が良くて、
なんか移る気がなくなったんですけど・・・。

そんなわけで今日もまた引越し断念。
フロントには、今日からラオに行くし月曜とかの戻りになるかもしれないし、
今日じゃなくていい、時間かけていいから、綺麗にしてください。
直す所があったら直して、とにかくよーくやってください、と。
ホントの事言うと、一ヶ月かかってもいいから、きっちりしてください、と。
それを伝えました。

でもどうせ大差ないんだろうなぁ結局。

そんなわけで今日の夜行で取り敢えずノンカーイに向かい、
明日の朝ノンカーイからヴィエンチャン。そしてビザ申請 → 却下の流れかと思います。
赤スタンプ捺されてても運が良ければ取れる、と言われているヴィエンチャン。
残念ながら運だけは特に良くないんですなぁ、これが。周知の通り。


2010年7月21日 引越し

現在の部屋に住み始めて早 4 年 4 ヶ月が経とうとしています。
そこら中に綻びが出続けながら、直すというより、慣れて共存という、
不治の病と上手くつきあっていくみたいな関係でした。
長い事いたわけですし、そりゃ思い出深い部屋なわけです。

その部屋を後にする事になりました。引越しします。

1 年前くらいから、生活自体に変わりは無いのに電気代が妙に高くなり、
メーターが妙に回ってしまってるんじゃないの?という疑念をもちつつ、
今回の南アでほぼ 1 ヶ月部屋を空けるため、これはチェックするいい機会だ、と。
かかる電気代は冷蔵庫と、3 ~ 4 日間の蛍光灯・扇風機・パソコンくらい。
ほとんど発生しないだろうと思いつつ、南アから帰ってきて請求書を受け取りました。
288 バーツでした。やっぱりおかしい。

2 年前くらいは 1 ヶ月で 300 バーツ代の時も結構ありました。丸々いて。
1 年前くらいから月に 200 ~ 400 近く乗っかってる感じがするわけです。
というわけで 2 年分のビルを全て持って、フロントでその旨を伝えました。
1 年前のこの時期から明らかに値段が前と違う、と。
今月もほとんど発生しないはずなのに、288 バーツはやっぱりおかしい、と。
冷蔵庫しか使ってないのに、と。

そしてその流れで、家賃に関しても突っ込みを入れました。
今、外の垂れ幕では、私の払っている額より 1000 バーツ低い額が提示されています。
これも含めて、どうなのよ、と。

家賃に関しては、私が 2 階で、提示されてる額は 1 階のものです、という予想通りの回答。
までも電気代はおかしいでしょ、と。
すると、冷蔵庫代だけで大体それくらいです、と。むしろ少ないくらいかもです、と。
うーん、なんか納得いかん。そういうもんなんですかねぇ。
冷蔵庫だけで 1 日 1 ユニットとか普通なんですかねぇ。わからんもんで。

でも、明らかに電気代が高くなってるからメーターがおかしくなってないかどうかチェックするか、
さもなくば、引越ししないといかんかもですよ、とチョイ強気に出てみました。
4 年 4 ヶ月もいるわけですし、少しは優遇してもらってもいいんじゃないかなと思うわけです。
あちこちガタ来てるし、水回りとかも漏れまくりだし、収納もボロボロだし云々。

するとどうやら電気代はエアコンが古い部屋なのが原因だと結論付けたらしく、
部屋にガタ来てるのも含めて、新しいエアコンが入った部屋に変えましょう、と。
引っ越す事ないじゃな~い。(はぁと)
という展開になりました。
まぁでも元々エアコンつけてないので、その結論付けは確実に間違いなわけですが。

で、こちらの希望としては、端の部屋は窓が 2 箇所にあり、風が通るのでそこ希望、と。
あと、西向き側の部屋で、景色がいい方、と。これを要望しました。

数日経ち、フロントから、部屋が用意できた、と言われました。
場所を聞くと、階はひとつ上になったものの、東側で、しかも角部屋ではありません。
すごーく渋り、結局角部屋が空くまで待つ、という事にしました。
そしたら翌日の今日、ちょうど角部屋が空きました、との連絡が。
ただし東側。1 階上になり角部屋となり、そこまではいいが東側。
うーん、景色が・・・まぁ、しゃあねぇか。という事で妥協。

引越しとは言いましたが、まぁ、部屋が変わるだけです。
でも、年単位での契約なので角部屋に空きはないなんて言ってて、
渋ったら翌日にたまたま空くなんて、まぁアレですが、まぁいいや。

そんなわけで近日中に引越しします。


2010年7月18日 北部某県にて

空港どころか鉄道の駅すらないこの地にて、
風光明媚な景観を愉しむ事もなく、
雨の中、引きこもり。一歩も外に出ず。

ファミコン版のファイナルファンタジー( 1 )をクリアしました。

ちなみに今日はカオソイ食た。ウマカタ。
屋台メシも米所とあってか、いい米を使っててウマカタ。


そしてこのままバンコクに戻ります。
帰りの道中から、FF 2 に手を出します。


2010年7月17日 J 再開ですが

今日から J リーグが再開しますが、
南アから帰ってきて、いつもライブ中継を観ているスポーツブックのサイトが繋がりません。
ワールドカップの賭博で捕まった人達が多々いるため、
その辺で規制されたのかどうかは知りませんが、これは非常に痛い。
サイトを見ようとすると、go.th のドメインがかまされて繋がらないので、
タイ政府によってブロックされてるんだろうな、と。

で今日再開なもんでダメ元で試しに繋げてみると、サクッと繋がりました。
今は北部某地にいる為、もしかしたらプロバイダで規制をかけてるのかもしれません。
もしくは規制解除されてたら嬉しいんですが、試しに家に帰ってから試してみます。
ウチは true だと思われるので、それ以外のプロバイダを使ってる方、
http://www.bet365.com
が繋がるかどうか試してみてご報告頂ければ幸いです。
J リーグが観られるか否かがかかっておりますので。


2010年7月16日@北部某地

突然、北部の某県に来ております。
昨晩飲んでる最中に行く事が決まり、
早朝頑張って起きて、到着しました。メチャ眠い。

着いて早々やらされた事が、髭を剃る事。
ガソリンスタンドに隣接するセブンで髭剃りとクリームを買い与えられ、
そのままそこのトイレで虫にまみれながら、
南アの旅を共に過ごした髭とお別れしました。

という、わけのわからん状態です。

までも旅は楽しい。


2010年7月14日 運転免許更新

先日、W 杯開幕日に期限が切れた運転免許を更新してきました。
取得後 1 年間は仮免許でして、その期限が切れた後に更新し、
5 年の有効期限で本免許が発行される、との事でした。

準備したのは、
1. 日本大使館発行の在留届済証明(英文) 760 バーツ
2. パスポート原本
3. パスポート写真部分と入国スタンプ部分のページのコピー
4. 運転免許証原本
5. 代金
でした。

身体検査もなくあっさり交付されるとの情報ばかりだったのですが、
私の場合は色々ありました。

まず書類として、
5. 健康診断書 (60 バーツ、モーターサイ往復 60 バーツの計 120 バーツ)
が、やっぱり必要だと言われまして、前回と同じように、
モーターサイに乗って診断書を取得、というか購入しに行きました。
例の如くパスポート渡して運転免許用とだけ告げて待つのみです。

で戻ったのですが、まぁ皆さんそうだと思うのですが、
私はバイクの免許も同時に取っていて、その場合それぞれの更新になるらしく、
パスポートのコピーもそれぞれ 2 部ずつ。
その他書類もそれぞれ 2 部ずつとの事でしたが、
760 バーツの在留届済証明なんか用意してられないので、
それと健康診断書はコピーでも可、との事でした。

で、ようやく受付が済んで外国人用カウンターの 17 か 18 番のブース前で待って、
自分の番になったら書類提出して処理を待ちます。
今回、ビザが南ア帰りの空港でもらった一ヶ月もののアライバルビザでして、
まぁ在留届済証明があるから大丈夫だろ、と思ってたんですが、
受付担当のおっさん曰く、このビザだと一年しか更新できない、と。
はぁ?と思ってたら、じゃ、 3 階行って身体検査してこい、と。

というわけで完全に仮免から扱いが変わることなく、
せいぜい提出する書類が少し減ったくらいなもんでした。
身体検査は、急ブレーキのチェックが端折られて、
壁に貼られた紙に描いてある中から指定された色を言ってくのと、
視界の端にランプで点灯された色を言ってくのだけでした。

で戻って代金(車 205 バーツ、バイク 155 バーツ計 360 バーツ)払って、
写真撮って、書類にサインして、発行されました。
確認したら、仮免許のままでした。

タイなんで、担当者によって対応も違うと思うのですが、
結構外れ側の担当者を引いてしまったようです。
まぁ分かりませんが、ツーリストビザでもあれば、もしかしたら多少は違うかもです。
なんせ当方、最弱のアライバルビザですので。

仮免許の場合だとまたトリッキーシステム適用で、
更新は期限が切れた後になるわけですが、
まぁ、期限が切れる前でも仮免で再更新なわけで、結局変わらんって事ですな。
本免許は期限切れる前に更新して 5 年ものになる様ですが、
忘れてて 1 年オーバーとかでも余裕で健康診断もなく更新できるあたり、
タイらしく、ぬるくていいですがね。でも面倒くさいから今回 5 年欲しかったですが。


2010年7月12日 ワールドカップ終了

終わってみれば超本命が予想通り勝って終わったワールドカップ。
今回のスペインは絶対観ておかなければ、と初戦のスイス戦を観戦し、
見事に後の優勝国のスペインに土をつけさせたのは私です。
今日は馴染みのオランダって事もあってオランダを応援したのが功を奏しましたな。
感謝して欲しいです。私が本気出してスペイン応援しなくて。
とりあえずスペイン人の友達にお祝いメールでも送っておきますかな。

少なくとも 2006 年よりはずっと楽しめたこの大会。
日本代表のグループリーグ勝ち抜けもあり、
また、現地参戦で色んな意味でインパクトも強く、
印象深い大会になりました。

次回はブラジル大会です。勿論、参戦するつもりです。
恐ろしい現実ですが、次回は 40 歳になってるんですよね・・・。
まぁ、区切りがついたので、明日からの四年、必死に勝負します。

キッチリ区切りをつけて、動き出すとします。


2010年7月5日 バーレーンの実況が日本語にしか聞こえない件

パラグアイ戦以来の涙。この一週間で二度も泣いたって事になる。涙ボロボロ。




三村が冷房のボタンを勝手に押すもんだからムッチャ風邪ひいたって事?w
なんだか色んなストーリーが随所で想像できますね。
恐怖の三話、ヘルプ・和田・遠足、全編メチャ見てぇ。www

思う存分ネットができる環境って素晴らしいですなぁ。

2010年7月3日 今大会の日本代表について

今回の代表の戦いぶりと結果について、巷では概ね賞賛・賛辞・謝辞が飛び交っています。
またその反面、一部では守備的な戦いぶりに疑問を呈する声も上がっているようです。

両方わかります。
期待せずに、ダメだろうと思ってたチームが、あれだけ頑張ったわけですし、
また、それまでのチーム作りを無にするコンセプト放棄の付け焼き刃策でもあったわけですし。
内容もつまらないし、美しくないし、先に繋がらないサッカーと見られてもしょうがないものでした。

ですが私は極めて肯定的に捉えています。
現地に赴いて、現場の空気を体感したからこそ、感じられた事があるからだと思います。

私は基本的に、日本のサッカーというものを確立し、体現して、
世界に認められる様になる事を夢見ています。
日本のサッカーの確立と言う意味では、近年ようやく固まりつつあったスタイルで、
高いテクニックを備え、組織的で規律があり、労を惜しまず勤勉に走り、
パスを繋いでマイボールを大事にした、スタイリッシュなポゼッションサッカー、といった感じでしょう。
これを貫き、世界に一目置かれる様になれれば、結果は二の次みたいな所がありました。
美しく勝利するのが理想ですが、勝利するのがまだ難しい現状では、まずは美しさを追求しよう、と。
醜いサッカーで勝利したところで、先には草木も生えていない、目先重視の不毛な策だ、と。
美しいサッカーをしてこそ、世界に認められる。グッドルーザーとして大会を去る事やぶさかでなし。
長い間、極論すればそういう考えでした。

その凝り固まった考えに変化を与えたのが今大会でした。

大会開始前や開始当初、日本は完全にアウトサイダーでした。
出場してはいるものの、全く注目もされず、気にもかけてもらえない状態でした。
恐らく南アだけでなく世界のほとんどの人々が気づきもせず、
エントリーされているだけの、実質限りなく透明に近い存在でした。

「どこから来たんだ?日本か。あぁ、そういえば日本も出てたんだ。で、どこと試合するんだ?」
この会話の繰り返しでした。
今回サウジとイランが出場権を失いました。ですがその事を気にかける第三者は皆無。
仮に日本でなくてサウジが出場していたとしても、日本が出ていない事に気づく人はゼロ。
それが実情です。要はそれだけの存在なわけです。

それでも自信を持って見返してやれるだけの実力が期待できればいいものの、
今回に関しては過去の三大会と比べてもダントツで期待値が低い状態でした。
はるばる南アフリカまで、わざわざそんな屈辱を味わいに行った様なものでした。

カメルーン戦に勝利しました。それでも扱いは変わりませんでした。
私自身が想定していなかった勝利に戸惑いながらも歓喜し、
街の人々は祝福の言葉を投げかけてくれました。
それでも未だにワールドカップでの市民権を得たわけではなく、
ただ単に今日の試合に勝っておめでとう。それだけのものでした。

オランダ戦に敗北しました。状況が変わったのはここからでした。
ポイントは 0 - 1 というスコアでした。これにより次戦は引き分けでも通過となり、
デンマークよりも優位な立場となりました。
このポジションを得てから、報道でも Japan という言葉が度々登場するようになり、
デンマーク戦前には、グループ F のラジオ中継のアナウンスに、
「このグループを首位で通過したチームは、恐らく日本が対戦相手となります。」
とまで言われるようになりました。
日本がようやく市民権を得た瞬間だったと言えるでしょう。

デンマーク戦に勝利しました。これが周囲の目を変える決定的な要因となりました。
試合内容も印象深いものであった事(某南ア人の言葉で 2 Great Free Kick)も手伝い、
日本に対する認知度は加速度的に増していきました。

そしてパラグアイ戦。スタジアムのほとんどの観衆が日本を応援していました。
南ア人から他国サポーターまで、フェイスペインティングはほとんどが日の丸でしたし、
祭りのハッピや鉢巻き、その他日本にまつわる装飾品を身につけ、
日本のチャンスには沸き、ピンチには悲鳴をあげる、そんな状況でした。
敗退が決まった後、行き交う数え切れない南ア人が私を慰めてくれました。
抱きしめられたその力強さに、応援してくれていた彼自身の無念さも感じさせられました。

結果を残す事は、こうも劇的に取り巻く状況を変えるものなのか、と。
逆に言えば世界のサッカーの話題の中に入りこみ、承認される為に、
結果というものは斯くも重要な要因だったのか、と。

一方、今回の代表の戦いぶり、内容も、心を打った要因だと思います。
弱者は弱者なりにそれを自覚し、認め、そこから何が出来るかを練り、
精一杯それに対して取り組んだ姿勢も評価されたんだと思います。
また、HONDA のプレイも非常に大きかったと思います。

日本が目指すべきスタイリッシュなサッカーとは程遠いものの、
出来る事を精一杯行い、出来る範囲以上の結果を残した今回の代表を、
誇りに思う自分がいました。

美しく勝利する。これは理想ですし、目標です。
これからも追い続けなくてはいけません。
ですが美しさを追求しつつ、勝利が必要とされる時にはそれを一旦置いておく。
そんな事が出来れば、道はまた拡がっていきます。
使い分ける事が出来れば、それはとてつもなく大人なサッカーでしょうし、
敵にしてみれば、非常にいやらしく、やりにくい相手となるでしょう。
そんな形での承認というのもアリなんじゃないかな。そう思ったワールドカップでした。

南アフリカまで赴いて本当によかった。
そう思わせてくれて、ありがとう。


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